かわいそうと思われたくない

かわいそうな自分で居続けるために、

かわいそうと思われるようなことを

引き受けてしまう。

可哀想と可愛いを聞き間違えてはいけない。

可愛いには愛らしさに対する親愛が与えられる。

可哀想には同情と哀れみが入り混じる思いが向けられる。

「かわいそう」

と思うのは、上から目線だと小学校の時の先生に言われた。

大好きな先生だったし、

かわいそうは、自分がそうじゃないところにいるから、

相手を下に見ているから言えること

そういう説明にすごく納得していた。

相手を常に自分と対等に置いて、

哀れみからではなく、当たり前に行動できるように

なりなさいという意味だと思います。


それがいつしか、

「かわいそうと思われたくない」

という思いに私の中で変わってしまった。

かわいそうに思われるような状態になる事は恐怖でした。

だから不倫されたことも誰にも言えなかったし、

もっと言えば、

弱さを見せることができない人間でした(今も苦手です)

さらけだせないから、何を考えているかわからない。

意味もなく守りの姿勢にいることが、癖のようになって、

それが私が正しいを主張する、根本にあることだったのでは、と思います。

もっと言えば、

かわいそうに、そう思うことは悪いことではなく、

そこに上から目線の哀れみという意味を

乗っけていただけで、

そこから動けるなら、スタートが

「かわいそう」と思ったことを

否定することも必要ないんですよね。

例えば小さい子が転んで泣いていたら、

かわいそうと思って、助けようとします。

そのかわいそうには、痛みに対する共感の気持ちと

子供に対する愛情とがあるだけで、

上から目線なんてありません。


「かわいそう」と思ってはいけない。

そんな思い込みが、自分を縛っていること。

当たり前すぎて気がつかないことでした。




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