夫婦の人格2

先日の続きです。
読んでいない方は、ひとつ前の記事からどうぞ。

1人1人に人格があるように、夫婦としている時の人格もあるのでは?ということ。

「夫婦とはかくあるべき」な理想的夫婦像というのは、また違う。

もっと個人的な、関係性からお互いが提供しあって作るものが、夫婦の人格。

夫婦の人格のベースには、約束事があって、2人がお互いに「信頼」を預け合って作っています。

「不信」になれば、夫婦の人格は崩れてしまいます。
 
ま、不倫のことなんですけど。
当然夫に対する信頼なんてぶっ壊されるわけですよね。
 
そうなると、当然今まで作り上げてきた、夫婦の人格も根本から壊れるんです。
まるで、一人の人が居なくなったように、夫との間にできる空間。
そこには不信が詰まっている。 
不信が詰まった場所にばかり目が行って、私にはもう不信以外のものは何もないのではないかと思ってしまう。
 
 
よく、「私の心は夫によって傷つけられた」「やられた人以外にはこの痛みはわからない」と不倫された人は夫をなじるときに言いたくなると思います。(私だ)
 
私自身は社会的に何のダメージも受けないにも関わらず、なぜこんなにこだわり続けてしまったのでしょう?
私そのものと、夫婦の人格を同一視して、まるで私自身が否定され要らないという烙印を押されたと思ってしまったから。
 
ちょっとは客観的に考えられるようになった今は、本当に壊れたのは、この夫婦の人格であったのではないかと考えるわけです。
 
私自身が直接のダメージを受けたのではなく、信頼を積み上げて作った関係性が一番傷ついた。
 
夫婦の人格がひどく痛めつけられ、地に落とされ、壊された、という状態。
 
それはもう、もし、これが本当に一人の人であったなら、殺人ではないかと思うほどにズタボロの虫の息です。
 
夫婦関係と言うと、現実的な関係性、夫婦であり、親であり、生活を共にしている者としての共有しているところが損なわれることももちろんあるのだと思います。
 
が、私はそれ以上に、夫婦の人格という、もっと内面で共有していた部分が傷ついて痛んでいたことが辛さの原因だったのだと感じています。
夫婦の人格=自分と思っていたから。
 
辛いのは、事柄ではない。そこに気付くだけでも楽になります。
さらに、傷ついたのは私そのものではなく、夫婦の人格という部分だったということを知ればもっと楽になる。
 
自分と痛みを切り離した所から見られるようになれば、いずれ「痛そうだな」という距離感で眺めることもできるようになります。
 
 
残念ながら、私と夫の夫婦の人格は死んでしまった。
その後もう一度夫婦の人格を作り直したとしたら、それは以前とは別の人格です。
 
 
夫とは限らず、また誰かと信頼を積み重ねて行けることができたなら、それが不倫された人にとっての再生になるのでしょうね。
 
不信を乗り越える力を身に付けることで、夫婦の人格の喪失を乗り越えて再生する。
 
再生って、文字通り「再び生きる」で、同じものを作り直すことではないのですよ。

本当の気持ちを見つけて引き出すカウンセリング&コーチング

不倫からの再スタート。マイナスからの人生大逆転で楽しんじゃいましょう! 夫婦関係が楽になるカウンセラー&コーチのももこです。

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